1992年、チュウ・トーマスという韓国系アメリカ人が
クリスチャンになります。この物語が恐るべきものとなるのは、
彼女が生まれ変わってから、2年後に
ナザレ のイエス・キリストがチュウ・トーマスを訪れたからであります。
あれから彼女は、何度も天国にエスコートされ、また地獄も2回目にすることになります。
チュウ・トーマスは、自分の体験を一冊の本にしました。
その本は、「天国は本当にある」というものであり、2003年10月に出版されました。
出版されてから1年経たないうち、
この本は国際的なベストセラーとなり、
アメリカのキリスト教書籍の霊性分野においてベスト10の中に入ったのです。
どうして、この平凡な主婦がつたない英語で
本をだし、また出版されてから1年経たないうち
その本が、国際的なベストセラーになったのでしょうか。
もしかしてもっと重要なな質問は
なぜ今、これらの啓示が顕れているのでしょうか。
「天国は本当にある」、これはチュウ・トーマスの物語です。
天のお父様、わたしの体験が伝えられることを許してくださり、感謝します。ハレルヤ。
わたしは1992年クリスチャンになり、
教会に何回か行ってから、まさにそイエス様の愛に落ちてしまいました。
そしてあれから、わたしは自分の余生すべてを主に捧げることを決心したのであります。
まず、ここで「 天国は本当にある」という本について申し上げたいと思います。
主イエス様は、自らわたしを変化された体にして、
天国に17回も連れていってくださいました。
まるでわたしが15歳あるいは16歳の時のようにです。
この事がある前に、主はすべての事を一つずつ用意してくださったのです。
1994年は、主がわたしの体に聖霊の炎で油を注がれ、そして、約1ヶ月経ってから
主は主のご臨在を教会の礼拝中に見せてくださいました
そして1995年イースターの礼拝の時、主はわたしの体を振るわせ、油を注がれたのですが、
以降、わたしの体は教会のお祈りの時に振るえるのです。
ご覧のとおり、今わたしの体はこのように左右に揺れています。
こうしないと、わたしの腹はとてもきつくなって、
まるで膨れあがりそうな 気がします。そのため、このように動いているのです。
どうかわたしの体がおかしいと思われないよう、お願いします。
これは聖霊様がなさっているのです。なぜならわたしは今イエス様について語っているからです。
そのことがあってから、主は私に聖霊によって、バプテスマを授け、
新しい言葉と天の歌、聖なる笑いをくださいました。
3時間もの間、わたしは油にそそがれ、床に横たわっていました。
それはとても強かったため、起きることができませんでした。
数ヶ月後、ラリー・ランドルフ牧師先生は、わたしに予言の言葉を話されました。
「神様はわたしを特別な道具として使おうとしている」という内容でした。
牧師先生のすべての予言は千倍以上に叶われました。
その後、1996年1月、主イエスは
肉眼で確認できる ご臨在として訪れてくださいました。
そして主はわたしを10回訪れることで、
わたしをどう使われるか、主の計画について、あらゆることを語ってくださいました。本の内容どおりにですね。
しかしわたしを天国に連れていってくださることは話されませんでした。
10回目の訪問の後、1996年2月19日、
主は、私を主の霊的な体のように、
変化された体として天国に連れていってくださいました。
天国に連れていってくださるたびに、地上の海辺に連れていってくださいました。
天国に初めて連れていってくださった時は、
わたしに海辺の片方のある小さな水晶のような澄んだ物を見せてくださり、
また、とても大きな、光るトンネルを見せてくださいました。そして主は私を天国に連れていってくださいました。
トンネルの中を通ったチュウは、このように記しています。
わたしは主とともにその道に沿って、山の頂上から下りてきました。
いよいよ主とわたしは、ある大きな白い建物の前に立っている巨大な白いゲートに至りました。
主とわたしはそのゲートを通り、白い建物に向かいました。
私たちが長い廊下に入ってから、下っていってらある大きな部屋が現れました。
わたしたちはそこに入りました。 見下ろしながら気づいたのですが
わたしが海辺で来ていたのとは違う服だということを初めて知りました。
また何か重たい物がわたしの頭の上に載ってあることを気づきました。
手を伸ばして触ってみたら、わたしが気づかないうちに美しい冠が被せられていました。
わたしが主を見つめた時、
主は御座に着いておられ、輝く上着に金の冠を被っておられました。
他の人たちもわたしと一緒にいましたが、 彼らは主の前にひざまずいて、拝んでいました。
その部屋の壁は眩しく光る大きな宝石でつくられていました 。
多彩な宝石の岩は部屋を神秘的だけでなく、
暖かくて幸せな不意機をかもしだしていました。
それからわたしは、山の頂上や白い建物に移動していた時のように、
またもやすぐ海辺にいる自分に気づきました。
いちばん最初、主はわたしに主の御座のある所を見せてくださいました。
それから私たちは天国から下りてきて、
地上にある海辺の砂の上に座っていました。
先ほどは天にある国に行ってきたのであり、
そこに行ける者は、ただ従順であり、心のきよい者である。
そして福音を伝えることは非常に重要であると伝えられました。またしばらくしてから
十分の一をささげない者は不住順なクリスチャンだと言われました。
それが最初訪問された時の主の最後の御言葉です。
るチュウ・トーマスは、さらに天国を16回訪問していました。 彼女は、毎回のことを次のように記しています。
わたしの変化された体として、わたしは主とともに海辺を歩いていました。
そしてまた主はわたしを連れて天国に行きました。
わたしたちは、真珠のゲートを通って、あの白い建物に入ってから着替えました。
着替えてから、わたしたちは金の橋を歩きました。
これらすべてのことは、わたしにはもう自然なものでした。
天国に行けば、信じるものは皆、このような手順を踏むだろうと思います。
あれから主は、わたしをさらに16回天国に連れていってくださいました。
毎回、主はわたしに違うものを見せてくださいました。
また特別な物を見せてくださる時には、
主はいつもそれらをわたしの子どもの為に用意しており、 彼らが何が好きか知っているとおっしゃるのです。
海辺を見せてくださる時も、「娘よ、見なさい。いかに美しい海辺なのか」
わたしはわたしの子どもたちがこの海辺が好きだということを知っている。」また釣りに連れていった時にも
「わたしはわたしの子供たちが釣りが好きだということを知っている。
だからこそ、彼らが願うあらゆるものを用意している」とおっしゃいました。
またわたしは天国がこの世に比べ、千倍より美しいことを実感しました。
この世にある物のように道路や建物、木々、
森、岩、花、そして天国の外部の荒れたところなど、
そこには美しいものがたくさんあります。
しかし、それらは世の中の物に比べ、千倍もの美しいのです。ひたすら美しいのです。
天国の美しさは言葉に表せません。まさに言葉に
絶するものです。とても美しいです。
そしてわたしは、イエス様がわたしたち一人一人をいかに愛しているのか分かるようになりました。
主はこのように語られました。
「あなたはわたしがわたしの子どもをどんなに愛しているのかを見なさい。わたしはこの全てをわたしの子どものために成したのである。」
そのため、主の子どもの為に用意したものを見せてくださるために、主はわたしをそこに連れていってくださいました。
何が天国でわたしたちを待っているのかを悟らせるためにです。
それで主が来られる前に 主は、全てのクリスチャンが期待に満ちて、
そこに行けるようにこれらのことを知ることを願っておられます。
そのため、わたしにこのようなことをお見せになったのだと信じます。
主は全てのことを詳しくは語られませんでした。
主はただいくつかのことを見せてくださり、
数少ない単語で、必要なことだけ話されます。
神様は真の愛の神様です。主をほめたたえます。
天国の体験の他に、チュウ・トーマスは地獄も2回見ました。
彼女は地獄の光景を次のように描いています。
わたしは深い穴から蒸気と暗い煙が出ているのを見ることができました。
それは火山の噴火口のようなもので、
その中はおびただしい人たちが炎で 燃え上がっていました
彼らは重苦しいやけどをしたかのような苦痛の声で絶叫していました。
彼らには髪の毛が無く、裸の状態でした。お互いにくっついて
虫のようにうごめいていて、炎は彼らの体を燃やしていました。
その穴に閉じ込められた人たちは決してそこから逃げることができません。穴が壁は
彼らに這い上がるにはとても深く、いたる所には熱い石炭が散らばっていました。
主 がおっしゃっていただけなくても
私が地獄の入り口に立っているのをわかりました。
天国には主が見せてくださった全てが楽しくてすばらしかったです。
ところが、次にはわたしに地獄を見せてくださいました。わたしを地獄に連れていってくださったのですが、
最初に見たのは、深くて暗い、果てしない穴ですが、中は全部炎でいっぱいでした。
人たちは裸で髪の毛がありませんでした。
皆は何もまとわない裸のままでした。
そして彼らはお互いにとても近く立っていました。
炎から遠ざかるためにまるでお互いを押し出しているようでした。
彼らがもがくたびに、炎は彼らを追っかけていました。
これは繰り返されていて、そこはまるで炎の海でした。
彼らは非常に密接して立っていました。
とても悲しく、痛そうに見えました。わたしは泣きを耐えることができませんでした。
そしてもう一回そこに連れていってくださったのですが、同じ人たちを見ました。
そこで音声の聞こえ、そこに目を向いたらそこにはアジア系の人たちがたくさんいました。
ある女性がわたしに手を振りながら、「熱すぎる」、「熱すぎる」と言うのです。
彼女を見たら、私たちの目は合ってしまいました。 彼女はわたしの母でした。
母であることが分かった瞬間、わたしの胸は崩れ落ち、泣き出してしまいました。
そのような痛みは感じたことがありませんでした。とても痛かったです。
あまりにも痛くてどうしたらいいか分かりませんでした。
彼女は熱いということを言い続けながら、わたしに手を振りました。
見るからに、彼女はわたしが下りてから彼女を助けることを望んでいるようでした。
また他の人たちがいました。
そこにはわたしの父がいました。わたしの継母、甥、彼は小さい時、亡くなりました。
そして二人の友達を見ました。
おお!それはとても苦しい記憶です。わたしはずっと泣いてばかりしていました。
主はわたしにこう言われました。「娘よ、これをあなたに見せるのは十分な理由があるからです
しかしあなたが苦しいよりわたしはもっと苦しいです。」
あ!わたしは主に言いました。「主よ、わたしの母は若くして亡くなりました。長い間病気をしていました。」
「彼女が悪い人だったとは思いません。」
主はわたしにこう言われました。「人がいかに善良であっても、
わたしを知らない者はそこしか行くところがない」
しかしがわたしの心は、「主よ、どうしてわたしにこのようなことを見せてくださり、こんなに苦しませるのですか。」と言いました。
そういうことも考えましたが、主には決して怒ることができませんでした。
主の顔を見ることはできなかったのですが、主はわたしと一緒に泣いていたのです。
わたしはそれを感じました。 主はとても悲しい様子でした。そして主はわたしの頭を障られ、手を握ってくださり、
わたしたちはそこから出てきました。そしてわたしたちが歩いている間、わたしはずっと泣いていました。
この本に詳しいことを述べています。
その次の訪問の時には、主はわたしに他の悲しいことを見せてくださいました。
堕胎された子供たちでした。 主はわたしを大きな建物のある所に連れていってくださいました。
何か、倉庫のようでした。わたしたちが歩いて行く時、見たのは全部赤ちゃんです。
とても小さい赤ちゃんでした。 彼らは整然と置かれていました。
わたしは泣きはじめました。「主よ、なぜこんなにあかちゃんが多いのですか」
主は、彼らは堕胎された赤ちゃんだと言われました。 赤ちゃんはどうされますかと聞きました。
主は彼らの母が救われ、天国に来られたら、
赤ちゃんたちを取り戻すことができるということでした。
彼女の17回目の天国訪問には、イエス様は彼女にこれが最後の訪問になると言われました。
これに対し、彼女は次のように記しています。このような主の御言葉にわたしは非常に駆り立てられ、
わたしの心はまさに主に対する愛で動き出していました。
主が立ち上がると、わたしは別れる時が来たのを知りました。わたしはまだ涙していたのですが、
わたしの心は、主が わたしとともに永遠に居られ、
地上にいる間もいつもそばに居られるという御言葉に慰められます。
着替える部屋で、ある主の天使がわたしを抱きました。
愛とあわれみと知恵とが、いつも満ち溢れている所に
わたしがいるということでとても元気付けられました。
わたしは着替えながら、アブラハムもその天使も
これがわたしの最後の天国訪問となることを知っていたのだろうと推測していました。
わたしがその部屋から出てきた時、天使はわたしをもう一回抱いていました。
この天使はブロンドで、ふわりとした白い服を着て、顔は柔らかくて穏やかでした。
主に向かって行ったら、その天使はわたしに微笑んでいました。
わたしを天国に17回目連れていってくださった時に主はわたしに雲を見せてくださいました。
それがわたしの最後の訪問でした。
主はわたしにこれがあなたの最後の訪問だとおっしゃいました。
最後の日が来る前にわたしはあなたをここに連れてこいないのです。
わたしはその日がわたしの最後の訪問だということを知っていたという気がしたのです。
わたしは泣きだしました。そこを離れたくなかったからです。
わたしは主の腕を握り、こう言いました。「主よ、わたしを離さないでください」
「わたしは行きたくありません。何度もここに来たいです」
もうそこに行けないということでとても悲しかったです。
なぜなら天国を訪問するたびに悲しいことも見ましたが、
そこでの喜びと平和は、決して、決して言い表せないほどのものだからです。
悲しいものの、わたしには喜びと平和がありました。
そのたくさんの愛でわたしは何日も泣きました。
聖書はイエス様が主の教会のためにいつ来られるかについて述べています。
テサロニケ人への第一の手紙4章16節を見ると、「すわなち、主ご自身が
天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、
天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、」
「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に
包まれて引き上げられ、空中で主に会い、
こうして、いつも主と共にいるだろう」と書いています。
これを 掲挙と言います。
このようなことがあってから何週間後、主 イエス様は
はわたしを変化された霊の体として海辺に連れていってくださいました。
わたしたちはいつもの場所に座って、しばらくの間話していたのですが、
主は「あなたに見せたいものがある」とおっしゃいました。
それをおっしゃった瞬間、わたしは幻想の音声をもつことになりました。
主がわたしに何か特別な見せてくださるたびに、
わたしは自分の体の底から出てくる特別な幻想の音声をもらいます。
その音声はとても大きくて長く続きました。
その次、わたしは非常に大きい物音を聞きました。
まるで世界中が崩れるような音で、とても大きくて恐い騒音でした。
そして見てみたら、空中は真っ白でした。
白い服を着ている人たちがあちこち飛んでいました。
人たちは湧き上がり、消えていてはまた湧き上がり、空中は人たちで埋め尽くされていました。
その時、これは 掲挙であることが分かりました。
わたしは笑いて、泣いて、叫んで、とても興奮していました。
そしてわたしは髪の毛もない生まれて10ヶ月たった孫娘を見ました。
ところでいきなり部屋の中から窓の外側に飛んでいくのを見ました。
白い服を着て、髪の毛も彼女の肩にまで伸びていました。
わたしがどんなに興奮していたか想像できると思います。
それから数分後、わたしは4ヶ月たった
髪の毛もない他の孫娘を見ました。
彼女も先と同じように窓の外側のほうに白い服を着て飛んでゆきました。
彼女の髪の毛も肩のところまで伸びていました。
わたしは叫んで、泣いて、笑って、とても興奮していました。
そんなに興奮したことはなかったのです。家中に響き渡るくらいでした。
幸いにわたしの夫が家にいませんでした。
もし彼がいたなら、きっとわたしに何か問題があると思ったことでしょう。
そのことがあってから、神様はわたしに他の場面を見せてくださいました。
その場面はとても悲しいものでした。とても恐ろしかったです。
聖書には 掲挙の後、大きな患難についても説明していますが、
マタイによる福音書24章21-22節にイエス様はこう言われています、「その時には、
世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起こるからである」
「もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないだろう。
しかし、選民のためには、その期間が縮められるだろう」
これを指して大患難と言います。
それから主はわたしに他の幻想を見せてくださいました。
それは残された人たちです。 彼らの中には多くのクリスチャンもいると思います。
なぜなら彼らは走っていたからです。
もし彼らがクリスチャンでなければ、走っていなかったと思います。
ところが、所々に警察がいて、人たちがいました。
恐怖に包まれた顔でこわばったまま、ひたすら車や
ボート、そして山に向かって走っていました。
彼らはどこに行けばいいか分かりませんでした。
まるで怪物に追いかけられているようでした。
とても恐ろしく、ぞっとする場面でした。
その次、主イエスはわたしにこう言われました。
「今あなたが見たのは、その日に起こることに比べると何でもない」
「わたしの民が掲挙された後、サタンがこの世を受け継ぐことになる」
「そして彼らは皆が彼の数字である666を受け取ることを望む」
「誰もがその数字を拒むと首を切られることになる」
そのため、誰でも獣の刻印666を受け取りたくなければ、
イエス様に心を捧げ、イエス様と永遠にいることを願わなければなりません。ヨハネの黙示録20章4節
誰でも獣の刻印666を受け取れれば、
彼らは皆、火の池に永遠に投げ込まれます。
彼らはそこで一日中焼かれ、休むこともできません。 黙示録14章11節
そのため、誰もがこのようなことについて知っておかなければなりません。
首を切られるということは、決して簡単なことでないことを覚えといてください。
首を切られる前に、すさまじい拷問を受けることでしょう。
なぜかというと、サタンはそう簡単にあきらめさせないからです。
したがって、このメッセージをお聞きになる人で、
もし、我が主イエス様と親密な交わりをもっていないのであれば、
あたたの救いのために何かをしてください。
そして、もしあなたが残されるのであれば、
決して獣の刻印666を受け取らないでください。
しばらくの間の苦痛が永遠に地獄で苦しんで、焼かれるよりはましだからです。
どうかわたしが申し上げることを真剣に受け止めてください。
「天国は本当にある」、この本は多くの外国語で翻訳され、
世界中に伝えられています。
また、MP3バージョンやネット販売も行われています。
ま、本は順調にいっています。もうこの本は国際的なベストセラーです。
主は、チョー・ヨンギ牧師先生をお使いになり、彼がこの本を翻訳しました。
普通は6ヶ月から7ヶ月かかりますが、チョー・ヨンギ牧師先生は約2ヶ月で終えました。
そしてこの本が出版された時にものすごい勢いでベストセラー1位になりました。
全能なる神様は、チョー牧師先生を特別に使われます。
牧師先生の教会には、約80万の聖徒たちがいます。
そして神様はこの本のために彼を選択したのです。
ハレルヤ!この本は我が主イエス様の最後の時の本です。
主は全てのクリスチャンがこの本を読んで、他の方々に証言することを願っておられます。
多くの方々がこのようにしています。
本を一冊から数百冊まで購入されては、
これが聖書に次ぐいちばん良い伝導の道具だと言っております。
それから、もう自分のプライベートな時間が無いくらい多くのメールを頂いております。
特に12歳から13歳の幼い子供たちからメールを頂く時、
彼らはこの本が好きだと言ってくれるのです。
彼らはイエス様を愛し、この本をイエス様の本だとして、またこの本を通じて甦ります。
中には学校を辞めて神様のために働くと言っている子どももいます。
わたしは「学校は辞めないで」と言います。
神様はあなたが教育を受けることを願っておられる。わたしは彼らにそう言います。
ただ、何ごとにおいても神様を最優先するようにと言います。
彼らのメールに答えると、彼らは喜びます。
数千人のイノチがこの本を通じて甦ります。
なぜならこの本はイエス様の本だからです。
主はこの本において、最初から最後まで全て成し遂げられました。
主は全てのことを最初から最後までまかなってくださるとおっしゃいました。
ところが、他のいろんなことで心配する時がありました。
そうしたら、主は「なぜ心配するのか、この本はわたしの本であり、わたしが賄う」
主はいつもこう言われるのです。
そして主は本当に最初から最後まで全てのことを満たしてくださいました。
誰でもこの本を読んでみると、この本がイエス様の本だということと、全てのことを主が 満たされたということを悟るようになります。
したがって、この本の全ての約束は、主が満たしてくださいます。
今自分に残されているのは踊りの奉仕だけです。
主はわたしに踊りの奉仕で訓練してだくださいました。
約3年もの間、この聖なる踊りで訓練させ、そのご教会約2年間踊りの奉仕をし、
今はほぼ3年半が経っており、わたしは主を待ち望んでいます。
待つというのは、神様に仕えるなかでもっともハードなことです。
わたしは主がこの本を出版されるまで7年を待たなければなりませんでした。
一時は、主がこの本を出版されるかどうか考えたこともありましたが、このように主はご自信の言ったことを 守られました。
天国訪問が終わりに近づいた頃、イエス様はチュウ・トーマスにとても特別な約束をしてくださいます。
天国訪問が終わった時は、もうわたしがこの本の原稿を終えた頃のことです。
その時、主はわたしを地上の海辺に連れていってくださり、わたしと約2時間半くらい時間を過ごしました。
主は、毎週月曜日そこに連れていってくれることを約束してくださいました。その時が1996年5月27日のことです。
あれから主はただ1度も忘れていません。
毎週月曜日に、わたしの変化された体でそこに連れていってくださいます。
毎週月曜日、朝0時がちょっと過ぎてからわたしを起こしてくださいます。
わたしの体を30分間、揺らします。正確に30分で、加減も無くちょうど30分です。
そして主のご望在を示されながら、わたしの霊の体と主の霊の体が一緒に海辺に行きます。
そこに行ってから、おもに主が話しをされ、わたしは聞きます。
また、わたしは歌ったり、霊の体で踊ります。
これは今のわたしの人生においての最高の時間です。
聖書によると、主がなぜ十字架で亡くなられた理由が、ヨハネの福音書3章16節に書かれているとおりです。
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった.
それは御子(みこ)を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」
したがって、ローマ人への手紙により、「すなわち、自分の口で、イエス様は主であると告白し、
自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」
わたしは多くの人が「死んだ後のことなんか、別にいいじゃない」ということをよく聞きます。
そうすると、「死んだ後の準備をしたほうがいいですよ」と言います。
あなたが死んだ後は、天国か地獄に行くことになります。
そしたら、その人は「そんなもん、知ったことか」と言います。
彼らは死んだ後のことについてまるで知らないのです。
わたしはまた言います。「もちろん関係あります」なぜなら
あなたが死んだら、あなたの体は死んでも霊は絶対死なないからです。
そのため、あなたはこの世で生きていた時と同じように、痛みや喜び、幸せなど全てのことを覚えることができます。
ところが、彼らはそれでも信じません。そしてわたしに怒るのです。
そしたら、わたしはこう言います。「いつかわたしが言ったことをよく覚えといて下さい」
イエス様を知っていますと聞いたら、彼らは「神様は知っている」と答えます。
そうするとわたしは「イエス様が神様です」と言います。 彼は父であり、聖霊様であります。彼はすべてなのです。
もしあなたが神様は知っているが、イエス様を知らないのであれば、天国には行けません。
こうやって伝え続けても彼らほとんどは、聞きたがりません。
わたしはただ、今は信じられなくてもいつかは信じられることを願いますと言います。
いくら、どんなに伝えても彼らはこの救いのパッケージを受け入れようとはしません。
そしたらわたしはまた言います。あなたがこの救いのパッケージがいやなら、それで結構です。
しかしある日、神様の民が皆掲挙されることをしることになります。
その時となると、わたしが今言っていることがどんなことか判ります。
しかし、その時がくると、絶対数字の666は受け取らないで下さい。
それをもらうと、あなたは地獄で永遠に、永遠に、永遠に火に焼かれることになります。
ですので、666という数字は絶対受け取らないでください。
このことを記憶してくださいませんか。ある人は、「いいですよ」と答えてくれます。
わたしはこのことを多くの人々に伝えます。
今まで、救いのために祈ったことのない方々のために、お祈りしたいと思います。
わたしの祈りを繰り返して言って下さい 。
わたしは主が神様の御子であり、わたしのために死んだことを信じます。
わたしの心の中にいらっしゃり、わたしの救い主となってください。
わたしの全ての罪を赦して下さるようお願いします。
そして主の尊い血潮で清めてくださり、
わたしの人生の全てにおいて、この瞬間から導いてください。
イエス様、わたしを主の聖霊で満たされ、 主の栄光のために使われるよう、わたしに権能を与えてください。
わたしは主に仕え、 主を愛し、わたしの生涯を主に従って、
他の人たちを変化させる者になりたいと思います。
天のお父様、わたしを主の子どもにしてくださったことを感謝します。
イエス様の尊い御名によってお祈りします。アーメン。ハレルヤ!
誰でもこの祈りをわたしと一緒にした方は、
どうぞ、教会にいらっしゃって牧師先生を通じて神様の福音を聞いて、
また、聖書を毎日読み、勉強するようお願いします。
一日何回も祈りを捧げ、イエス様と交際されることをお願いします。
有り難うございます。ハレルヤ
チュウ・トーマスの奉仕のために、わたしたちのこの番組をご視聴いただき、有り難うございました。
「天国は本当にある」に、イエス様は主が教会のためにわたしたちが思うより早く来られると言われました。
したがって、喜んで用意してください。全ての賛美をわたしたちの神様に捧げましょう。
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天国は本当にある
Heaven is so Real, Japanese Video Documentary
by Choo Thomas
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